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ずっとトイザらスキッズな、ある英語教師のブログ

英語教育における発音軽視を食い止めよう

アクセントやリスニングはひとまず置いておいて、発音について自分の中で整理しようと思います。

 

どの教科書・参考書にも、豊富な例を示しながら、発音記号を活用しながら、正しい調音のしかたなどが載ってはいます。付属音声もついており、理論的には、学習できる状態が整っているわけです。

しかし実態はといえば、日本人の発音のレベルはとても低いです。反論する人はいないでしょう。かくいう私の発音も、お世辞にも褒められるものではありません。

発音という部分に関しては少なくとも、今の日本の英語教育がぜんぜん機能していないことは明らかです。ふつうに考えたら、がんばって知恵をしぼって、改善をはかっていくべきです。それなのになぜか、あまり問題視されていません。

 

昨今、ネイティブみたいに流暢にカッコよく発音できることが必ずしも価値を持つわけではない、という考え方が一般的になってきています。私も同意見です。ESL(English as second language)的な、いわゆるグローバルな視点から英語をとらえていく流れは、ますます高まっていくことでしょう。

大学受験においては、センター英語での発音・アクセントの割合は14/200点とかなり小さいです。2次・私立入試では、そもそも出題されない、という大学・学部がほとんどといっていいでしょう。きわめつけとして、本年度からセンターに代わって始まる大学入学共通テストでは、発音・アクセント問題が削除されることが決まっています。

このように、教育関係者の非常に多くが、発音・アクセントを軽視しているのです。実は少し前までは、私もそんな教師のひとりでした。

 

しかしやはり、「正しい発音」を教師は教えるべきです。学習者は、「正しい発音」を学習するべきです。

世界でますます多種多様な英語(の発音)が流通しているということは、たしかに現地の英語(の発音)、つまり日本人にとってのJapanese Englishが許容されるということが一面としてはあるでしょう。しかしながら、英語の学習者として、Japanese Englishを学ぶ、という姿勢はちょっと変です。たしかに、ネイティブ・コンプレックスみたいなものは克服するべきです。だけど第二言語として英語を学ぶ以上、「標準的な、正しい英語」を学んでいく、というのがあるべき姿だと思います。多種多様な英語が流通する、すなわち英語が外に向かって拡散していく世界では、逆に、その中心にある「英語というイデア」に到達しようとする努力がますます必要になってくるのです。で、「中心にある英語」は、「ネイティブの英語」とは違います。この微妙な感覚をきちんと持ち合わせた人材を、私は育てたいと思っています。少なくともグローバルに活躍する日本人を育成しようと考えるのであれば、前時代的なネイティブ信仰を克服し、その上で謙虚に「世界語としての英語」に向き合う、という姿勢が正しいのではないでしょうか。

それに中学生を教えていると、彼らは意外と、正しい発音を知りたがります。また、発音の感覚がつかめていない子は、読み書きでも苦労しがちです。

 

問題は、たぶん、きちんと発音を指導できる教師が少ない、ということに尽きます。

教師の技術的な部分とか、教科書・参考書の問題もあるかもしれません。

でももっと問題なのは、ものすごく大きな理念の部分と、ものすごく細かい実践の部分が、ぼんやりしてしまっていること、だと思うのです。

 

今日はものすごく大きな理念の部分を語りました。

明日以降、ものすごく細かい実践の部分を言語化していこうと思います。