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ずっとトイザらスキッズな、ある英語教師のブログ

不定詞雑考

英文法において、最も難しい単元はずばり、不定詞です。

英語教師としての経験は10年かそこいらですが、断言できます。

 

不定」であるこの表現を例文に応じて「定める」考え方は、実はとても抽象的で高度なことであり、極論すれば経験によって体得していくより他に方法はないのです。

 

To study English is interesting. であれば名詞として、

Please give me something to drink. であれば形容詞として、

I went to the station to see him off. であれば副詞として

それぞれ働くわけですが…

ある程度英語を修めた人なら、かんたんに判別できると思います。

主語になっているから名詞、とか、直前の名詞を修飾しているから形容詞、とか、先生みたいに、文法的に解説することができる人も多いかもしれません。

 

では、頭の中を中学校2年生のときに戻してください。ようやく過去形やwillを習ったばかり、という時分です。

なんだか動詞が変なところにあります。文の最後が動詞とか。そもそも、1つの文に2つ動詞があります。今までは1つだけだったはずです。おかしい。

この時点でけっこうパニックです。

そして、先生や教科書は、「名詞・形容詞・副詞」とか、文の中で「主語・修飾語」になるとか、抽象的なことばで説明してくるわけです。

その結果、ここで壁にぶつかって英語に苦手意識を持つ生徒がとても多いのです。ぶつかってたおれて、立ち上がらないまま高校卒業、という子もいます。

 

ただ、まがいなりにもここを乗りこえて、中学と高校の課程をひと通り、無事に学び終えると、「目的語として働くから名詞」のように、教科書的な感覚をもって考えることができるようになります。

そしてこの感覚は、やっかいなことに、英文を正しく読む上で絶対に必要な感覚なのです。だから、教える必要はあります。

 

中学生(初学者)に「何を教えないべきなのか」あるいは「完全な理解を求める必要がないこと」に、教師は自覚的であるべきなのです。

 

ドラゴン桜』の数学の柳先生が、「つめこみこそが教育である」と言っていましたが、不定詞の教え方にもすごくあてはまります。

どういう場合にどのパターンになるのか、というのは、究極的には、数多くの用例に触れることで体得していくしかないんですよね。

だから、中学生には「形容詞的用法」とか、「文の中で目的語として」とか、とりあえずつめこむ。たくさんの例文に触れさせる。「なんとなくわかった」状態まで導く。

 

学習者のゴールは、「なんとなく判別できる」感覚を、「名詞・形容詞・副詞」とか、「主語・修飾語」のようなことばできちんと言語化できるようにすることです。

 

「なんとなくわかった」状態まで到達し、「名詞」とか「修飾語」のようなことばを聞いたことがある人なら、どこかのタイミングで、完璧な理解がおとずれます。きっかけは高校の授業かもしれないし、本腰をいれて受験勉強を始めたときかもしれません。

 

したがって、中学英語の教師の仕事は、生徒を「なんとなくわかった」状態までうまくだましながら持っていくことと、「名詞的用法」とかいう、その時点では理解できないようなことがらを「つめこむ」ことです。

詐欺師、汚れ役ですね。

生徒や不定詞に真正面から向きあって、すべてを理解させようとすると失敗します。

 

「プロとして教える」とは、「何を教えるべきでないかを理解している」ということではないでしょうか。

なんだか大きな話になってしまいましたが、色々な場面で、しばしば思うことではあります。